ご訪問ありがとうございます。
ここ何回かは、バンコクRENEスパのスタッフの件で、とよが中心の話になってしまっておりますが、前回も19歳スタッフのポックちゃんの里帰りにとよが同行して、小旅行気分だったのもつかの間・・・・
最後にはびっくりぽんなポックちゃん親子の策略を知り、最後にはポックちゃんに不信感を持ちながら、重苦しい空気を引きずってバンコクに戻ってきたという話をさせていただきました。
前回の記事はこちらから
「元女性警察官がバンコクでスパ経営物語」第24話目は、ポックちゃんがどうなったのかの結末をお話しする前に(おおよその予想はついていると思いますので)・・・・
私達二人の名前の由来についてお話したいと思います。
「とよ」と「ナツコ」という名前・・・
実は、どちらも実名ではありません。
以前からの知り合いや、Facebookでお友達になってる方は
とよが土井美苗
ナツコが上津希美乃
が本名だとご存知の方も多く、お客さんの中にもそのことに気づいて
「どうして違う名前を使っているの?」
と最近は良く聞かれるようになりました。
とうことで、その謎を明かしたいと思います。
(左がとよ、右がなつこです。ジャンボカオマンガイです!!
けっして二人で食べたのではありません・・・。ほとんどナツコがひとりで食べました。)
「とよ」の名前の由来
先ずは、とよからですが、とよは生まれた日が14日だったので、最初、祖父から「台与子(とよこ)」という名前をつけられました。
ちょっと「とよこ」って読めないですよね〰
実は「台与」というのは、邪馬台国の卑弥呼の養女で、卑弥呼の後を継いで女王になった「台与」という巫女の名前なのですが、祖父は邪馬台国の大ファンであったことから、14日(とよ)生まれの「とよこ」にこの字を当ててつけたのだそうです。
ところが、祖父母が小さな赤ちゃんに「とよさん、とよさん」と呼ぶのを聞いて、結構この時代の流行に敏感だった父は「おばあさんみたいで可愛くない!!」と思ったらしく、生後1ヶ月の頃に改名してしまったのだそうです。
それが本名の「美苗」という名前です。
これは美しく苗のようにすくすくと育つようにという意味を込めた名前だそうです。
まぁ、すくすくは育ちましたが、美しくは父の期待を裏切ってしまいましたが・・・・
それが、なぜ今になって「とよ」という名前を使うようになったかといいますと・・・
少し前段が長くなってしまうのですが、聞いてくださいませ。
実は、とよは警察時代に大和郡山市にある「源九郎稲荷神社」という神社で復興活動のボランティアをしておりおりました。
この神社は歌舞伎の「義経千本桜 四ノ切」に登場する主人公「源九郎狐」ゆかりの神社なのですが、今から10年程前は荒廃して誰も寄り付かない寂れた神社だったのです。
そのうち宮司さんもお亡くなりになり、ますます荒廃してしまったのですが、そこに不思議な縁で導かれたとよが、友人の闘病をきっかけにお参りにいくようになり、そしてこの神社をなんとか復興させようと活動を始めたのです。
すばらしい仲間との出会いもあり、おおよそ1年で神社は復興することができました。
この後、歌舞伎役者の市川猿之助さんが神社の復興に役立ててくださいと寄付をしてくださったり、中村勘九郎さんが境内に桜を植樹してくださったり、その他、尾上右近さん、佐野岳さん等、多くの俳優さんが源九郎狐を演じる前に参拝に来て下さる神社へと生まれ変わりました。(神社の復興活動記録のサイト( 源九郎稲荷神社復興への道)がありますので、是非ご覧ください!!
とうことで、神社の復興活動の中心的存在としてタイに来るまでは活動していたとよですが、この活動中、警察官だったとよが、当時交番所長をしていた斑鳩町の町長さんに見つかってしまい、公の場所で「ここの交番所長さんは、源九郎稲荷神社でボランティア活動している」という話をされてしまったのです。
この話をされたことが、特に問題があるわけではないのですが・・・
そのことで色々と他の人から聞かれることが面倒臭くなり、それからは神社で活動する際は改名前の名前である「とよ:台与」を使うようになったのです。
そして、もちろん仕事も伏せていたので、当時一緒に復興活動をしていた神社の総代さんの「中川さん」は、とよを人に紹介するときに職業を出すことができず、悩んだ挙句・・
「この方は、えっと〰、えっと、ここでお掃除をしてくださる方です」
と紹介されるので、最初の頃はみなさん、本当にとよのことを神社の掃除のおばちゃんとして雇われている人だと思っていたそうです。
これって、なかなか良い経験でしたよ〰
というのも、掃除の人だと分かった途端、「なんだ」って感じで、とよのことを相手にもしなくなる人もいますし、反対に「ご苦労様ですね」とねぎらいの言葉をかけてくださる人もおり、その人の本性が見えるので面白かったです。
それまでのとよは、警察という看板をしょっていたので、
職業を語るだけで怖がられたり、
一歩引かれたり、
反対に興味を持たれたり
と、特殊な仕事ゆえのおきまりの人々の反応しか味わったことがありませんでした。
ところが、お掃除のおばちゃんというだけで、全く相手にもしてもらえず、その後の会話から自然に外されてしまうという経験をしました。
いかに、世間の人が職業で人のことを判断しているか思い知らされました。
なので、とよはこの神社の復興活動を通じて、警察という肩書があるからとよを手伝ってくれるのではなく、掃除のおばちゃんでもとよの神社を復興させたいという気持ちに賛同して協力してくださる人達に出会うことができました。
そして、その数年後にとよは警察を辞めて、化粧品とサプリメントの製造販売会社を親友と始め、さらにバンコクで理学療法の治療院スパを経営することになり、この物語の渦中の人物となるに至るのですが・・・・
この転職の際・・・
このブログにも登場した、RENEスパのお祓いをしてくれたS住職から
「美容関係の仕事をするなら、とよという名前を使ったがいいよ〰」
と言われたのです。
S住職は、28宿や姓名判断などの統計学にも長けており、名刺を作る際に姓名判断をしてもらったところ、
「土井美苗」というのは、左右対称の名前であり、これは一般的に男名前と言われているねん。
非常に運勢の強い名前だから、警察官をするにはもってこいの名前やったと思うねんけど・・・・美容関係の仕事をするには、すこしきつ過ぎる感があるね。
反対にとよは、とても優しい名前なので、とよを使用する方が、これからの仕事はうまく行くと思うよ
というアドバイスをしていただいたのです。
そんなことから・・・
とよはここぞという勝負の際は「美苗」という名前を使用し、普段のスパの仕事の際は「とよ:台与」という名前を使用することにしたのです。
ナツコの名前の由来
では、次にナツコですが・・・
ナツコは、結婚して「上津」という名前に変りましたが、旧姓は「な〇こ」という名前であり、小さい時は友達には「なっこ」と呼ばれていたそうです。
なのでナツコは「なっこ」から、年齢を重ねるにつれて変形していった名前になるのです。
そして、警察学校時代の同期からは「ナコ」と呼ばれるようになり、当然とよも「ナコ」と呼ぶため、現在、バンコクRENEサロンでは「ナコ先生」と皆さんに呼ばれるようになっています。
そんなナツコですが、彼女は通常の人が定年までの人生を静かに全うしようと考える中、人生の転機を自ら選んだ人でもあります。
ナツコは、子育てをしながら過酷な警察の仕事を続けて来ました。
今でこそ、女性警察官も増えて職場環境も良くなりましたが、とよやナツコ達の時代の警察組織は、完全に男性社会であり、辛抱の度合いも、選択肢の狭さも・・、今とは大違いでした。
そんな状況下で、ナツコは、様々な部署の仕事を経験します。
刑事課、生活安全課、総務課、交通課・・・
警察の仕事も部署によって、対応する人が違ってきます。
刑事課であれば、被害者や犯人
生活安全課は、被害者や犯人の他に、防犯活動が入るので地域で子供の見回り活動やパトロール活動をされている住民の方、許可の関係で古物商やパチンコ店など・・・
総務課は、職員の採用のため学生さんや就活中の人、留置場で留置している被疑者等・・
交通課は、交通違反者を筆頭に、運転免許証の更新や車庫証明の申請等で来られる住民の方など・・・
色んな課での仕事を経験すればするほど、仕事の幅は広がりますし、接する人の種類も増えるので、人に接するコミュニケーション能力が磨かれることとなります。
この多岐に渡る仕事の経験が今のナツコにとって、接客の基盤になっています。
また、反対に色んな立場の人の要望や言い分に接する中で、法律の枠に縛られて動きがとれないという理不尽な思いもたくさん積み重ねてきました。
でも、それを1つ1つくぐり抜けて、キャリアを積んできたナツコですが、人はどの業種でも、やはりどこかで、日々の仕事で惰性や閉塞感を覚えるタイミングというのが来ます。
ナツコも例外ではありませんでした。
仕事の現場では、働く人すべてが、
「このままでは自分自身を消耗してしまうだけになってしまいそうで、何かを得ている実感がない・・・」
そういう思いがよぎった時、前途多難な新しい道に踏み出すものと、現状の中でキャリアップしようとするものとの2つの道に分かれると思います。
ナツコも、そしてとよも・・・やはり、何度となくそういう思いにとらわれるタイミングがありました。
二人とも、長い年月警察組織の中で働いて来て、それなりにキャリアを積んできました。
けれど・・50歳を目前にしてナツコが選んだ道は、現状でさらにキャリアを積み上げていくことではなくて、努力して積み上げて来たキャリアを一旦捨ててリセットし、新しい自己生成のために、別の場所で鍛錬していく道だったのです。
これは、とても勇気のいることでした。
ナツコは、その後リンパセラピスト・・そして現在は整体と頭蓋仙骨療法という新しい分野のスキルも得て、頭蓋仙骨療法士兼整体師としてまったく違う分野の仕事についています。
そして、2018年からは、タイバンコクで「頭蓋仙骨療法」のパイオニアになるという目標を持って、新しい挑戦を始めました。
180度違う仕事ではあるけれど、年齢的な壁は確かにあるけれど、警察の仕事の中で培ってきた実務という貴重な経験があるだけに、新しいことを学んでも、学生時代とはその吸収力に差があり、濃さが違うため、2倍も3倍も中身のある仕事をこなせていると思ってます。
ナツコは、今もどんどん新しい技術を学び続けています。
学ぶといことは、日々の繰り返しだけでは得ることができない新しい視点を持たせてくれます。
とよもナツコもお客さんから、「よく警察でのキャリアを捨てることができましたね」と言われます。
正直、とよもナツコも、過去にはあまり興味がありません。
二人が興味を持っているのは、二人の挑戦がどこまで達成できるかということのみです。
なので、元警察官だったということを、今の仕事に活かすことはあっても、執着することはありません。
ただ、宣伝のひとつのネタとして利用させてもらってるのは正直なところです。
でも、自分達のちょっと変わった経歴を、これからの挑戦の戦略に役立てるという発想も、新しい視点で物事を見れるようになったからだと思います。
すべて規則にがんじがらめだった警察組織に居た頃からは考えられませんが、ここタイに来て、二人とも「どんなことでもやってみないと、どうなるのかわからない」という発想を持つことができました。
今までタブーとしてできなかったことが、今はもうタブーではないのです。
自由に自分の学びたいことを学べます。
自由に自分の考えも主張できます。
自分のアイデアを、上の許可をもらわないで(上はいないので)、自分の意思で実行することができます。
こうして、警察官だった二人は、それぞれ「とよ」と「ナツコ」というニックネームで、人生半ばにしてとんでもない挑戦を始めたわけなのです。
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