さて、前回は、トヨとナツコがタイに来ることになった経緯をご紹介しました。
元女性刑事コンビがバンコクでスパ経営物語の第6話は、その後の二人の頼もしい相棒となるバンコクでの新しい出会いについてご紹介したいと思います。
今回からは、いよいよ活動の場をタイに移したバンコク編がスタートです。
バンコクでのスパ開店の準備
バンコクでスパを開店することになった経緯をさらに詳しく・・・
なので、常に黒ガリンガル農家に足を運んで、黒ガリンガルの品質管理ができるわけではない・・・ という大きな問題がありました。
そんな時、タイ人女性と結婚して農家を経営している日本人男性 A氏と知り合うことができ、その人を通じて、
黒ガリンガル農家との仲介に入ってきちんと品質管理ができるタイ人企業
を紹介してもらうことができたのです。
そのタイ人の会社は、黒ガリンガルの他に、多くのタイ原産の植物を日本に輸出している会社であり、タイ人社長の Bさんは、まだ若いのにとても誠実で真面目な人でした。
この Bさんと知り合うことができたお陰で、Bさんの会社がきちんと山岳地帯の農家と契約して黒ガリンガル栽培を管理してくれることとなり、品質の高い黒ガリンガルの安定供給が可能となったのです。
そんなことから、S会長が度々タイを訪れて Bさんとのビジネス関係を構築してい最中に、A氏が突然
A氏:
実は、私のタイ人の嫁が昔エステシャンをしており、スパをやりたいといいだしているので、黒ガリンガルの生体水を使ったスパをやらしてくれないだろうか?
嫁にお店のオーナーはやらせるので、タイ人スタッフに日本式のマッサージを教えることができる人を日本からよこしてくれないだろうか?
S会長は、黒ガリンガルの件で、タイ人起業家 Bさんを紹介してもらった関係上 A氏の申し入れを断ることができず協力すると約束したそうです。
そこで、トヨ と ナツコ がタイ・バンコクに足を運ぶこととなったわけなのです。
この時、エステサロンを開業したばかりのナツコは、
Aさんの奥さんと、その他の タイ人スタッフを指導しなければならない
という重責を抱えて訪タイすることになるのですが・・・
なんとトヨは、
わ~い。 初めてタイに行ける〰!!
どこに観光に行こうかな〰
等と、遊び半分の気持ちでおり、まさか、この後自分自身がタイでスパを経営しないといけなくなるなど考えもつかないことだったのです・・・。
今から考えると、この時のトヨは「なんとも能天気で考え方が甘かったな〰」と反省しております。
そのため、この後とんでもなく大変な経験をすることになってしまうのですが・・・その話はおいおいしていきますね。
いよいよ始めてのタイ・バンコクへ
そして、いよいよ訪タイの日となりました。
バンコクに降り立ったのは、RENEのS会長と社長のKちゃん、そして社員のトヨと エステシャンのナツコの4人です。
空港に降り立ったトヨは、思っていた以上の規模に驚きました。
バンコクって大都会なんだ~!!
トヨの現在の相棒である Rさんとの出会い
バンコクのホテルに到着すると、ホテルのロビーには
農家を営む A氏
A氏 の知人の Rさん という日本人男性
の2名の男性が待っておりました。
このRさんが、現在、
バンコクの会社の社長であり、トヨとRENEスパを共同経営している日本人男性
になるのですが・・・
この時は、まだ彼自身も RENEスパ を手伝うかどうかはっきりと決めていない状態であり、ましてや会社を設立するなど思いもよらず、ただ A氏 に手伝ってくれと言われて思案中の状態であったのです。
ここで少しRさんのことを紹介しますね。
彼は、ずっと飲食業の世界で生きて来た人であり、この出会いの日の2年前までは、東京で居酒屋、焼き肉店等の飲食店5店舗を経営していた人でした。
「甘太郎」という有名居酒屋チェーン店の関東エリア チーフマネージャーとして、300店舗を管理下において仕事をした後、30代半ばで独立したのだそうです。
けれど、厳しい飲食の世界で生き抜いてきた彼は、30代の若さで1回目の脳梗塞を起こし、40代初めに2回目の脳梗塞を起こすという不幸に見舞われ、東京での厳しい飲食界という競争社会での仕事を続ければ命の保証がないと医者に言われたそうです。
それで、半年程東南アジアに放浪の旅に出たそうなのですが、そこでタイのエネルギーの凄さにびっくりして、いつかタイで仕事をしたい と思うようになったそうです。
そして2年間程、独学でタイ語を学びながら、タイのバンコクと日本を行ったり来たりして、バンコクを視察して回り、いつかタイで飲食店をやりたいと思うようになっていたそうです。
そんな時に、日本の彼のお店のお客さんからとある相談を持ち掛けられたそうです。
その人は、バンコクで日本の古着を売る商売 をかなりの規模で展開していたそうです。
日本から高品質の古着をタイに輸入して、タイ人を使ってそれをバンコクで販売していたのですが、自分は日本にいたまま、タイ人のマネージャーに仕事をすべて任しているという状況であり、管理が全くいきとどいていない状態だったそうです。
そしてその人から、ある時「どうも売り上げの計算が合わない」という相談を受けたそうです。
その頃、Rさんはタイ語が一般会話程度には話せるようになっていたこともあり、その男性から依頼を受けて、バンコクに足を運び実態を色々と調べたそうです。
すると!!
なんと、経理を任せていたタイ人男性が売り上げを横領していた
ことが判明したのです。
もちろんそのタイ人男性はクビにしたそうなのですが・・その後の古着販売の仕事を今後どうしていくかとなったそうです。
その仕事には、その社長さんがかなり資本をつぎ込んでやっていたこともあって、タイ人の管理ができないからと簡単にはやめることができなかったのと、バンコクでは先駆けのビジネスだったため、飛ぶように日本の古着が売れ始めており、今後の展開が見込める可能性があったらしいのです。
かといって、経営者の日本人男性は、日本で別会社を経営しているため、現場でタイ人を監視することができず、新しいタイ人マネージャーを雇っても、また同じことが起こる可能性が危惧されました。
そこで・・・その社長さんはRさんに対し
Rくん、君は日本での飲食の仕事を続けると、命取りになると医者から言われているんだろう?
どうだろう? 温暖なタイに行って、この古着販売の仕事をなんとか建て直してくれないだろうか?
Rさんは、その時飲食店5店舗を経営していましたが、脳梗塞を患ってからは、それぞれの店を各店長に管理させており、自身は飲食店コンサルタントととして新しい飲食店の立ち上げや、潰れかけの飲食店の再建等に力を貸す仕事をして、比較的ゆったりと仕事をしていたので、日本での仕事をいったん止めて簡単にバンコクに来ることが可能でした。
この頃、バンコクでは日本の古着ブームが来ていたこともあり、Rさんは古着販売の仕事をやってみる価値があると判断して、おもいきってバンコクに来る事を決意したそうです。
それで、日本で経営していた5店舗のうち焼き肉店3店舗を転売し、居酒屋の2店舗を当時の店長にそのまま経営させるという形にして、自分は経営から退きバンコクにやってきたそうです。
なぜ Rさんが A氏 の仕事を手伝うことになったの?
そんなことから、タイ・バンコクにやってきたRさんは、さらに資金を投入して古着の仕分け工場作り、服を販売する直営ショップも3店舗持ち、タイ人スタッフも20名ほど雇い、かなり規模を拡大して古着販売の仕事を展開することになったそうです。
すると・・
これが大当たりで、2年間程はおもしろいほど儲かったそうです。
ところが・・・不幸は突然やってきました!!
なんと、古着の仕入れ先が突然倒産したのです。
Rさんのところの古着がタイ人にバカ売れしたのは、日本製のデザインも生地も良い高品質の古着だったからです。
なので、それまでの仕入れ先からの仕入れが断たれたことにより、品質の良い古着が入って来なくなってしまったのです。
他の仕入れ先に変えてみましたが、かなり品質が落ちてしまい、一向に売れません・・・。
さらに・・・
飽きっぽいタイ人の間では、日本製の古着ブームが去りつつありました。
このまま続けると、負債を抱えてしまうことになると判断したRさんは、おもいきって古着販売の仕事を止めることにしたそうです。
この早い見切り判断が、彼の現在を築くことになるのですが、この時のRさんは、
日本に帰ってもう一度飲食業に戻るしかないな〰
と思っていたそうです。
ところが、そんなタイミングで、A氏から
今、日本から黒ガリンガルを買い付けに来ている社長がいるんだけど、その会社が生体水というすごい化粧水を製造することができるだよ。
それで、その生体水を使って、元エステシャンだった私の嫁にエステサロンをやらせようと思うんだけど、俺はタイ語もできないし、農家もあるから、どうか手伝ってくれないだろうか?
もし、うまくいくようなら共同経営という形で店を一緒にやらないか?
Y氏 とRさんは、そんなに親しい間柄ではなく、共通の知人を通じて知り合っただけの仲でした。
Rさんは、よく知らない人物と組むのは不安だったそうですが
Rさん:
ビザの有効期限もまだあることだし・・
美容業界なんて未知の業種であり、なかなかおもしろそうだし
ビザが切れる直前まで手伝ってもいいかな~
それから日本に帰ればいいだけのことだし・・・
と、このスパ事業の立ち上げを手伝うことに、少し興味を持ってしまい、手伝うことを決めたそうなのです。
トヨとナツコのRさんに対する第一印象は?
・・・といわけで、トヨとナツコがホテルに到着したときに、ホテルのロビーにいたのが、このRさんだったのです。
見た目はどんな人かって?
RENEスパに来られた人は、お会いになられた人もいると思いますが、
まさしく飲食業界の人そのものの、ちょっと見た目怖いチャラ男
タイプです。
若いころは、若いときの 沢田研二 に似ていると良く言われたそうです。
でも、見た目のチャラさと中身は180度違って、
性格は日本男児そのものであり、非常に親切で真面目で行動力があり、仕事にはとても厳しい人
です。
ホテルでRさんと初めて出会った時、トヨ も ナツコ も彼の「強面のチャラ男というその見た目」から
誰? 何者?
と、彼を少し警戒してしまいました。
なぜか、この出会った時の彼は、鋭さと厳しさが前面に出ており、
日本人だけど日本人と違う・・・
という不思議な印象を覚え、親しみやすさとか、近寄りやすさとかいったものを全然感じませんでした。
かといって、嫌な感じも受けませんでしたし、とにかく
異国で出会った日本人というのはこういう独特の雰囲気なのか?
という印象がとても強かったのを覚えています。
それはどうして?
今となって考えみると、タイという異国で様々な経験をして苦労を重ねてきた人が持つ、独特のオーラだったような気がします。
彼には、その後 トヨも ナツコ も、彼にとても助けてもらうことになり、彼がいなければ、トヨの今も、ナツコのタイでの活躍もなかったと思置います。
なのでRさんは、この物語に頻繁に登場してくることとなりますので、是非、覚えておいてくださいね。
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