こんにちは、RENEの店長のToyoです。
私は、根っからの美容家でも医療従事者でもありません。
バンコクのRENE店にご来店のお客様は皆さんご存知ですが、元々警察官をしておりました。
お客様から、
「もうこのお仕事は長いのですか?日本ではどこでセラピストをされていたんですか?」
という質問をよくされるのですが、そのたびに
「いえ、まだ5年程なんですよ。」
とお答するのですが、必ず
「それまでは何をされていたんですか?」
と追加質問され、そこから延々と「なぜ?どうして?」の質問が続くため、最近は自分から
「私はずっとこの仕事をしていたわけではなく以前は警察官をしていたんですよ」
とお話しするようになりました。
この仕事を始めた当初、同じ業種の人達から、
「セラピストとしての経験が浅いことをお客さんに話しちゃいけないよ。経験が少ないと下手だと思われ信頼してもらえないからね」
と良く言われました。
「10年位とか、15年位とか嘘つけばいいんだよ」
と言う人もいました。
でも、流石に嘘をつくのは嫌なので、「経験年数についてはできるだけ言わないようにしよう」と心がけていました。
でも、そうすると・・・・
どうも悪いことをしているようで居心地が悪いのです。
そんな中で、お客様から色々と質問をされると、しどろもどろになってしまいます。
そのうち、「なんで、こんな小さなことで悩まないといけないんだろう?」と思うようになり、「もう、何も隠さず本当のことを話そう」と思うようになりました。
すると意外にも嫌がられるどころか、警察官をしていたことに興味を持っていただき話が弾むことが多く、最初から自分をさらけ出した方が楽ちんだということに気が付きました。
そんなことから、セラピストとしての経験が5年程しかないからといって別に卑下することではないし、私は私にしかできなかった貴重な経験も勉強もいっぱいしてきているし、それをちゃんと今の仕事に活かせているんだから、堂々と胸を張ってカウンセリングと施術をさせていただこうと決めました。
でも、お客様からは「全然違う仕事ですよね~。どうして180度違う仕事をされているんですか?」と不思議がられるので、今日は、その転職の理由をご紹介したいと思います。
それには、私の職歴をお話ししないといけないのですが・・・・
興味のない方は、この先はお店の話ではなく私事なので、ここで読むのをやめてくださいね~
(写真は、刑事を卒業して、退職前に世界遺産の街で交番所長をさせていただいていた時のものです)
私は、警察人生の中で、とても長い間刑事警察に携わっており、捜査第一課という殺人や強盗、強姦等の凶悪事件を担当する部署で仕事をしておりました。
この部署の刑事には「検視業務」という内容の仕事があります。
病院で病気や怪我等で亡くなられた方以外、自宅や屋外で亡くなられた方のご遺体を医者と共に調べて死因を特定して、事件性がないかどうかを判断するという仕事です。
年間100体程のご遺体を検視し、検視だけでは死因が特定できないご遺体は、大学病院の法医学教室で司法解剖するケースも多く、そのため基本的な法医学や解剖学等の知識が必要でした。
現在は、警視クラスの検視官を中心とした検視専門のチームがおりますが、私が刑事をしていた頃は、検視官が県下に1名だけであり、そのため各所轄の強行班(殺人等の凶悪事件を取り扱う係)の刑事は、個々に法医学の知識がとても必要でした。
私は、巡査の時はスリを捕まえる担当の窃盗犯刑事をしておりましたので、強行班の刑事は巡査部長になってから初めて携わりました。
私が強行班刑事をしていた時、私が従事した先輩刑事と先輩デカ長(巡査部長)のお二人が、すごく法医学と解剖学の勉強をされており、私はお二人にトコトン検視業務を仕込んでいただきました。
先輩が持っていた法医学に関する書物や、勉強のノート等を貸していただき独学で勉強を始めたのですが、これが面白くて面白くて、先輩に本を借りるだけでは足らなくなり、いつしか自宅の本棚には法医学や健康に関する書物で溢れるようになっておりました。
またこの時の鑑識係長も定年間近の方であり、初の女性強行班刑事となった私を「一人前に鍛えてやるのが俺の最後の仕事や!」とおっしゃってくださり、悲惨な状況の現場に率先して連れて行って鍛えてくださいました。
そんなことから、人体に直接触れる業務をこなす日常の中で、医療の分野にとても感心を持つようになり、知識量もかなりのものになっておりました。
その後、本部捜査第一課に異動になり、そこでは大きな殺人事件の捜査本部の一員にも加えていただく機会が多くなり、刑事ドラマさながらの経験をたくさんさせていただき、刑事の仕事も面白くて大好きだけど、人体に対する興味もどんどん強くなり、医療関係の仕事にも興味を持つようになりました。
けれど、まだこの頃の私には、まさか警察を辞めてバンコクで理学整体をメインとしたスパを経営するなど思いもよらないことでした。
ところが40歳を過ぎて、長年刑事という仕事に携わって来て、身体を酷使しすぎたなと感じ出した頃、同年の大親友が大腸癌で亡くなったのです。
彼女は2年近く、闘病生活を送ったのですが、抗がん剤治療で苦しむ彼女の姿を目の当たりして、「病気になるのはこんなにも辛いことなんだ。癌ってこんなにも苦しまなければならないんだ」という思いが鮮烈に私の脳に焼き付いたのです。
彼女の死から、自分の健康についても考えるようになりましたし、その後半年後には、さらに同世代の知人が心筋梗塞で亡くなり、数年間で父を含めて、身近な人が次々に亡くなるという経験をしたのです。
刑事をしていた時には、知らない人の検視を何百体としてきました。
けれど、その時には感じなかった様々な思いが、大切な身近な人達の死により大きくなり、私の気持ちの中で変化が起こり始めました。
さらにこの頃私は、刑事を引退して女性ばかりを収容する留置場の責任者として勤務するようになりました。
収容されている方の病気の多さにびっくりしました。
毎日、たくさんの薬を飲まなければいけない留置人もいますし、精神安定剤がないと毎日を過ごせない方もいました。
「まるで薬漬けの廃人の収容施設みたい」だと思いました。
そして、この時に薬のことを勉強し、同時に健康管理士の資格も取りました。
この時に私が感じたのは、「薬に頼る生活をしていると心まで不健康になる」ということでした。
そんな思いを抱えていたとき、私の住居近くにとある接骨院がオープンしました。
そこの院長先生が気さくで、また治療も上手であったことから、身体に不調があるとその接骨院のお世話になるようになりました。
そこには見習いのスタッフの子達もおり、国家資格を取るために勉強をしながら仕事をしていました。
そんな子達と治療中に沢山の話をしました。
「自分の手技で患者さんを笑顔にしたい」「少しでも身体を楽にしてあげたい」
そんな、患者さんに対する愛に溢れた言葉を何度も何度も聞きました。
さらに、そこに通っている患者さんも、来られるときは暗い重たい表情をされていたのに、帰る時にはとても明るい表情をされていました。
治してもらったお礼にと、差し入れも良く届けられていました。
この接骨院に通うにようになり、私は真剣に「警察を辞めて専門学校に通って資格を取ろうかな?」と考えるようになりました。
院長先生にも、ちらっとそんな話をしたことがありますが、冗談だと思われてまともに取り合ってはもらえませんでした~
こうした段階を経て、私は医療関係の仕事に対するあこがれがとても強くなって行きました。
そして、そんな時に東南アジアが原産地の幻の植物「黒ガリン」との出会いがあったのです。
もし、この黒ガリンに10年早く出会っていたら大腸がんの親友は死ななかったもしれない
もし、この黒ガリンに5年早く出会っていたら父は死ななかったのかもしれない・・・
もし・・・もし・・・
と考える位、この黒ガリンとの出会いは強烈なものでした。
が・・・さらにその先に、黒ガリンの原産地のタイで「美と健康」をテーマとしたスパを一緒にしないかという話が、当時の親友から舞い込み、思い切って警察を辞めて、「彼女と一緒に予防医学をテーマとした仕事を始めてみよう!!」と決意することとなったのです。
そんなわけで、私は警察官から180度違う仕事に転職したわけなのですが、今では、警察の時の知識が本当に役立っていることにとても感謝しています。
ということで、セラピストとしての経験はまだ5年余りですが、解剖学、健康管理学等の勉強はかなり真剣に積んできましたし、解剖実戦も豊富なので、私はセラピスト経験数が少ないことで自信がないどころか、反対に普通のセラピストができないカウンセリングと施術ができると、自信満々でいる厚かましいセラピストであります。
美しく健康に生きることは、人として永遠のテーマだと思います。
美も健康もちょっとした小さなことに気をつけるだけで予防につながることは沢山あります。
そんなちょっとしたことを、RENEがサポートするので一緒にやってみませんか?
というのがRENEスタイルです。
ちょっと変わったカウンセリングをしますが、これからもRENEとタイ人理学療法士と、わたくし店長のToyoをよろしくお願いいたします。