登場人物
トヨ : バンコクRENEスパの日本人店長(この物語の主人公で元警察官)
ナツコ(ナコ先生):頭蓋仙骨療法士&整体師 (もの物語の主人公で元警察官)
Kちゃん:日本のRENEの女社長でトヨの親友
Rさん:RENEスパの共同経営者(タイのRENEの日本人社長、黒ガリンの輸出担当)
前回の記事で、
A氏の悪事が明らかになってすっきりした〰!!
遂にあの人物の悪事が明らかに!!そしてタイ居住を決意する(元女性警察官コンビのスパ経営物語 第27話)
登場人物 トヨ : バンコクRENEスパの日本人店長(この物語の主人公で元警察官) ナツコ(ナコ先生):頭蓋仙骨療法士&整体師 (もの物語の主人公で元警察官) Kちゃん:日本のRENEの女社長でトヨの親友 S会長 :RENEのグループ会社の...
とお客様から言っていただいたところで、やっと奮闘記物語の第一ステージが終了したという感じであります。
そして、いよいよ物語は第2ステージへと向かいます。
トヨは、バンコクで本格的にスパの経営をすることを決意し、
ナコ先生ことナツコは、2件目のエステサロンの経営にと乗り出すこととなります。
まずは、ナツコの2件目のエステサロン経営のお話から・・・
ナツコの2店舗目のエステサロンの経営
ナツコのサロンの集客は「口コミ」と「紹介」でした。
これは、本当に技術のあるセラピストでないと成功しないやり方です。
普通、個人でエステサロンを経営した場合、一番の壁は集客になります。
組織で宣伝する力もないわけなので、コツコツと地道に宣伝活動を続けていかないとなりません。
トヨも、最初はタイ人をターゲットにと考えていたので、言葉の壁があるタイ人の集客にはとことん悩まされました。
そして、結局最後にはお手上げになり・・・やめてしまいました。
その後は、ターゲットそのものを日本人に変えてしまったことで宣伝の幅は広がり、現在はウェブ上での宣伝活動による集客が上手くいき、お店の経営も軌道に乗せることができたのですが・・・・
この集客活動というのは、商売をしたことがないトヨとナツコにとっては、大変な難関1つでありました。
ただ、ナツコは、自分ひとりでお店をやっていることもあり、従業員の給料を毎月、毎月払わないといけないということで頭を悩ませることはありませんでした。
なので、すぐに大流行りのエステサロンにする必要もなく、ナツコのペースで、ナツコの技術に惚れて受けに来てくださるお客様の要望に応えながら毎日施術をしておりました。
そのナツコの技術力のある施術の結果が、口コミで集客に繋がっていくという形になっていたので、特別に宣伝をする必要はあまりなかったのです。
そのため、お客様から
せめてチラシだけでも作ってほしい。
友達とかに勧めるのに何も渡せるものがない
とか、
せめてホームページだけでも作ってほしい。
友達に勧めたけど、ネットで探してもお店が見つからないと言われた
とか言われることが多く、ナツコは、いつも
ナツコ(ナコ先生)
せめてチラシだけでも作らないとあかんねんけどね~。
ホームページもあったほうがいいのはわかるねんけどね~
と言っているものの、未だにどちらもない状態なのです
そんなことから、サロン経営の基本である集客には、ちょっと無頓着なナツコでしたが、さすがに腕がいいだけに口コミでどんどんお客様が増えていき、ナツコの実家がある五条市でも、わざわざ足を運んでくださる方が増えてきました。
・・・というのも、ナツコがサロンを出したと聞いて駆け付けた五条の知人たちの間でナツコの技術が評判になり、瞬く間に口コミで評判が広がったからです。
そして・・・
五条から足を運んでくださる数名のお客様から、次第に・・・・
五条から橿原はまで来るのは遠いから、五条にも店を出してよ〰
という要望されるようになったのです。
五条にはナツコの実家があり、ナツコの母が一人で暮らしておりました。
なので、実家でサロンを開業できる広さは十分にありました。
ナツコ(ナコ先生)
わざわざ店舗を借りるとなると厳しいけれど、実家でのお家サロンをするなら、私が予約に応じて橿原から五条の間を行き来すればいいんだし、こんなに私の施術を待ち望んでくださるお客様がいるんだから、五条でもやってみようかな〰
ということになり、なんとあっさりと2店舗目を開店してしまったのです。
そして、この2店舗目の開店には、できるだけ経費を節約ということで、ベットや美容器具などの搬送も、業者を使わずに全て自分でやってしまったのです。
トヨは、ナツコから、ベットを自分の車に載せるのに四苦八苦したハプニングの話を聞かされ、
toyo
笑い話やけど、普通の女性ならまずやらんわ~
と思いました。
手伝ってもらった女友達と、そのハプニングをクリアした時に
ナツコ(ナコ先生)
私ら、旦那がいなくても十分生きていけるよな〰
と言ってお互い大笑いしたということでした。
この話を楽しそうにトヨに語るナツコでしたが・・・・
警察に居た頃のナツコは、仕事を持ちながらも朝早くから旦那様のお弁当を作って、家事もこなし、子育てもちゃんとして・・・
という良き奥様だったのに、まるで
ナツコ(ナコ先生)
やっと本来の姿を取りもどしたぞ〰!!
という感じで、もう旦那なんて頼りにしない~と生き生きとしておりました。
ちょっぴり旦那様が可哀想に思えたトヨでした
さらに夏kおは、この数年後には奈良県北部の奈良市の中心部にも、もう1店舗開業させてしまうのです。
ナツコの恐るべしエネルギーには、トヨもびっくりぽんでした。
このエネルギッシュな姿こそが、間違いなくナツコの本当の姿だったのですよ〰!!
ナツコ(ナコ先生)
来てほしいと言って下さるお客様がいたら、私はどこにでも行くよ
と言うのがナツコの口癖なのですが、この後、タイにまで来ることになり、さらにタイで縁のあったお客様から要望があり、今では鎌倉まで出張施術に行っている超多忙な治療家になってしまいました。
トヨはそんなナツコに対し、
toyo
身体1つで3店舗経営して、国内外の出張施術もして・・・
それ大変すぎるでしょ〰。
もう、完全に出張施術だけに切り替えたら?
と提案するのですが、
ナツコ(ナコ先生)
でもな〰。橿原は橿原で常連のお客さんがいるし、五条は五条で私が行くのを待ってくれているお客さんがいるし、バンコクもそうやろ〰。
鎌倉もそうなりつつあるし・・・どれも削られへん
と返事が返ってくるのです。
toyo
ビジネス的に考えたら、移動に使う時間も経費ももったいないやん!!
とトヨは思うのですが、ナツコは、常にお客様ファーストであり、根っからの治療家であり、経営者には不向きかも〰なんて思ってしまうのです。
そんなナツコを見ていると、はやくナツコに思い存分施術だけをしてもらえるような店の状態にしたいな〰と思うのですが、それが簡単にかなってしまうと、奮闘物語も終了になってしまうので・・・・
ご安心ください、まだまだ二人で踏ん張っていくことになるのです。
・・・少し、話が現在の話へと逸れてしまいましたが、この2015年は、こうしてナツコも2店舗目の開業という新しいスタートを切り、さらに、バンコクRENEスパにも再び、深く関わってくることとなるのです。
・・・・が、そこまで行くには、まだまだ紆余曲折がありました。
次は、トヨのバンコクでの様子を見てみたいと思います。
トヨのバンコクでのアパート探し
バンコクでスパの経営に自らが関わっていくことを決意したトヨですが、そうなるとやらなければいけないことが沢山ありました。
まず、住まい探し、
そして、ビザと就労許可書の取得
です。
ビザは、異国で働くことを決めた人が必ずやらなければならないことなのですが、こんなに大変なものとは思いませんでした。
大企業の駐在員として来るなら別ですが、小さな個人企業で日本人が働くとなると、次から次へと難関が待ち受けておりました。
このビザに関しては、10個くらい記事が書けるような経験をしてきましたが、それだけにトヨはきちんと正規のビザを取得してタイで働らかせていただいていることへの感謝の気持ちが強く、常にビザと就労許可書を持ち歩いていないと不安になるくらい、このふたつの許可書に対する思いは強いと感じています。
ということで、ビザ関係の話はおいおいとするとして・・・先ずはアパート探しの話からしたいと思います。
バンコクRENEスパは、ディンデーン、ラチャダ地区にあり、日本人居住エリアからは離れておりました。
そのため、お店の周辺に住んでいる日本人なんてほとんどいない状態でした。
Rさんは、お店から3つ駅が離れたコンドミニアムに住んでおりました。
Rさんと同じコンドミニアムに住めば、何かと助けてもらえるし便利だったのですが、家賃が高すぎました。
とにかくまず1年、トヨは、Kちゃんが経営する日本の会社「RENE」からの駐在員という形で、バンコクで働くことになりました。(現在はRENEを退職し、Rさんのビジネスパートナーという立場でタイの会社の役員でおります)
そんなことから、家賃と給料については、日本のRENEから支払ってもらうことになっていたので、まだ日本での会社設立から1年も経っていないRENEと社長Kちゃんには、あまり金銭的な負担をかけたくないと思いました。
それで、お店の近くで家賃の安いアパートを借りようということになり、Rさんのバイクの後ろに乗せてもらい、良さそうなアパートを1軒1軒探して回りました。
そして、やっと見つけたのが、1エリア隣の場所で歩いたら30分位かかる場所ではあったのですが、とても綺麗で安いアパートを見つけることができました。
それが下の写真のアパートです。
なかなか、素敵な部屋でしょ!!
ここで、1ヶ月5500バーツ(日本円で2万円弱)なので、日本では考えられない安さです。
もちろん、電気代や水道代は別になりますが、それを支払っても、1ヶ月6500バーツ位です。
ただ、家具はクローゼットとベット以外、何もついていないので、全て揃える必要がありました。
そこで、Rさんに近くのスーパーに連れていってもらい、
テレビ、冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器、ソファー、椅子
を購入しました。
トヨは、日本では持ちマンションに住んでおり、まだローンを支払っている最中だったので、タイで新しく家具等を購入するのは少々痛い出費ではありましたが、家具などがついたサービスアパートメントやコンドミニアムだと、最低で1万5000バーツ(5万円位)になるので、1年間という期間を考えるとアパートを借りるほうがやはり安くつきました。
けれど・・・
この時のトヨは、まだまだ考えが浅はかであり、タイと日本との二重生活を送ることが、どれほどお金がかかるか想像もしていなかったのです。
日本のマンションのローン代や管理費、修繕費、
日本では車も持っていたので、車のガレージ代、税金、車検代
日本で掛けている生命保険や傷害保険代、火災、地震保険
日本の携帯電話の基本料金
等、使用していないのにもかかわらず、毎月支払わないといけない費用があることについて、全く考えていなかったのです。
さらに、住民票をタイに移していなかったので、毎月の住民税、健康保険料、家の固定資産税、年金等・・・・日本国民である限り、支払っていかないと駄目なお金がたっくさん!! あったのです。
しかも警察官時代は高給取りだったトヨですが、設立したばかりでまだ収入のない会社から出るお給料はびっくりする位少なくて・・・(日本だと絶対に生活していけない金額です)
「タイで生活すること=貯金を切り崩して生活していくこと」だと気づいたのは、タイに住み始めてから3ヶ月くらいしてからでした。
日本では光熱費だけは使用をストップしてきましたが、その他のことはストップできるものではなかったので、本当に湯水のように通帳からお金が引き落とされて行きました。
一番、痛かったのは家のローン代と車のガレージ代です。
さらに、当時はまだガラ系の携帯電話を使用していたKちゃんは、ラインをしていなかったので、連絡はすべて国際電話でしてきます。
国際電話は受ける方が若干電話代が高くなりますし、話の長いKちゃんは気にせず平気で30分40分話をするので、毎月とんでもない電話代の請求が来たのです。
タイに来て3ヶ月後に、その請求額の通知が来た時には、本当に泣きたくなりました・・・・
月に4〰5万円の電話代なんて、今まで使ったことがなかったトヨは、3日間程落ち込んでしまいました。
そんなことから、この3つの支払いでタイでもらう給料が消えてしまいました。
なので、毎月の生活費は貯金を切り崩すこととなりました。
公務員として毎月、一定額の収入があったトヨからすると、金銭面でもあの頃からは信じられないような生活の始まりでした。
けれど、今から振り返ると贅沢三昧だった自分を顧みる良いきっかけだったと思います。
その後、タイでの生活で節約するということを覚え、今では少ない給料の中でやりくりしてお金を貯めていくことの楽しさを覚えました。
物がない、お金がない・・・そういう状態に置かれると、人は頭を使えるようになるのですよね〰。
いつも、小銭をちらこちらに放りっぱなしで「お金を大事にしない」と母に叱られていたトヨですが、今は1バーツ(約3.4円)でも大切にするようになりました。
タイでは16バーツで乗れるバス、19バーツで乗れる地下鉄、11バーツで乗れる船
7バーツで買える飲料水等
1バーツは、1円と違って、日常的に使うお金なんです。
ということで、生活面でもトヨの奮闘はスタートするのですが、この辺りのことは今後、タイの事情などを紹介しながら書いていきたいと思います。
・・ということで、無事にアパートを確保することができたトヨですが、果たして・・・この先、どんなバンコクでの生活が待ち受けているのでしょうか?